天国からの奇跡(映画)
嫁と二人で行ってきました「六甲比米神社」!
この日は、比米神社に行くのに通らないといけない「六甲山アスレチックパーク」が休みだったので、とても静かでした。
いつもはどなたかは参拝されている境内ですが今日は誰もいない。
嫁もしっかり「祝詞」を唱えれたし、僕も「一升瓶」を大きな大きな器に入れてお供えし、盛大に撒いてきました。
※「大山津見神」にとっては、もっともっと飲みたかったと思いますが、なかなかの険しい山を登りますので、一升瓶でお許しください。また持って行きます。
\(^o^)/
こうやって神に祈るのは何のためか?
我々は身近に出て来られる「神仏」をリアルに感じますので自然と祈りますが、それでも、先日の「嫁」のように、「信じているようでどこか疑ってしまう...」ということも分かります。
なんかこう、神仏に頼ってしまって、人間の努力とか頑張りをせずに「楽して生きたらアカン」みたいな感情からそうなってしまうのか。
はたまた、「もっと成功して金持ちにしてほしい!」と願っているのに叶えてくれないじゃないか...とか。
誰しも「神仏に背を向けたくなる時」があると思います。
フンッ <(`^´)> みたいな。
先日「天国からの奇跡」という映画を観ました。
「10歳の女の子が治療法のない難病になり死を待つのみの状態だったのが、臨死体験で天国に行き、神様から「戻ったら治ってるから戻りなさい。」と言われて生き返ったら、「全く病気が消えていた」という話です。
で。これ、実話なんだそうです。
エンディングで本人と家族が出てきたのでビックリしましたが本当にあった話。
「いい映画やったなぁ…」と思って振り返ると、「あれ?僕もそういや『難病』やったやん。。。」と思いだしました。(^^;
大学生の時、左の太ももがものすごく痛くて、実家の近くの整形外科に行ったら「運動不足ちゃう?」と言われ、毎日走ったりしても治らない。
母親からは「乗ってる車が軽自動車やからちゃう?」と言われ、普通車に乗り換えても全く良くなりませんでした。※そりゃそやろ。
いつも痛いわけでなく、定期的な周期で痛くなるので周りも分からなかったのですが、当時付き合ってた彼女が看護師さんで、たまたま一緒にいる時に痛くなりました。
その時その彼女は、「その痛さは普通じゃないで。運動不足?そんな訳ないやん!明日病院で先生に聞くから診てもらお!」と言ってくれました。
その彼女は「最先端医療機器を備えた、ものすごく大きな病院」に勤めてましたので、すぐに整形外科の先生に相談し、精密検査をしてもらいました。
自分でも「この痛さは普通じゃない」と思ってましたが、普通の病院では分からなかっただけのようです。
結果は「骨壊死」。
骨が腐って血が通わなくなってしまっている病気でした。
早速、腐っている骨の部分を摘出する手術をしましたが、1回の手術で治らず、2回、3回と手術をしました。※毎月手術してたので散髪のようでした。
3回目の手術の後、術後の血を抜く管を太ももにさしたまま入院していた時、母親が「もうパンツが不潔かもしれないから履き替えなさい」と言うのですが、この管が入っているので履き替えるのは無理な話です。
それでも母親は「不潔の方がアカン!」と言って無理やり履き替えさせた時、その管が「ポン!」と音を立てて抜け、血が噴き出してきました。(^^;
当時「院内感染」が病院内で流行っていましたので、ナースコールで「管、抜けました」と伝えた途端、ドクター3名、ナース5名が血相を変えて飛び込んできました。
「何をしたんですか、お母さん!!!」と、オカン、ものすごい怒られてます。
(/ω\)
その後も気を打ってしまったオカンは、会う人会う人みんなに「いや、パンツが汚れてたらアカンと思って…」と言い訳をしていましたが、あまりに気落ちしている母親を見て「オカン、僕はオカンに産んでもらったんやから、オカンに殺されても恨まないよ。生んでくれてありがとう。」と伝えました。
その時ふっと「なぜ足の骨が腐ったか」が分かりました。
僕は反抗期がキツくて、高校生の時は外で勝手にご飯を食べてきたり、友達や彼女の家に泊まって、あまり家に帰りませんでした。
たまにご飯を食べる時でも反抗して「こんなもん食えるか!」と何かを買って食べたりしてたのです。
その時の「母親への反抗(≒ろくなものを食べなかったことに対する結果)」が足の骨を腐らせた、と、なぜかそう分かりました。
それから、ようやく治りだして一か月後には退院できました。
映画の中で主人公の母親は「アインシュタイン」の言葉を引用します。
「私たちの生き方には二通りしかない。『奇跡などないと思って生きるか』、『すべてが奇跡であるかのように生きるか』」。
主人公の母親は、「奇跡とは周りの人達の優しさそのものだった」と、事故を通して気づかされた時から、娘の病が治りました。
もしあの時「看護師」の彼女と付き合ってなかったら、そして、もしあの時、母親に管を抜かれて血が噴き出さなかったら、僕は今頃「左足」が無くなっているか、10cmほど短くなってしまってたと思います。
そして今ある環境も「奇跡」でしかない。
無いものを数えるのではなく、あるものを数えてると感謝の心が芽生えてくる。
みなさん、ありがとう。
そして、お守りくださる神仏に感謝。。。
ってことで、祈ってるんですが、そう思ったのもつかの間、その夜、嫁となかなかの大喧嘩が勃発し、息子に泣きながら止められるという、なんとも情けない話。。。
まだまだっすわ、わてら。
( ˘•ω•˘ )